稲むらの火
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今から134年前の8月、将来は郵政事業を民間の経営に委ねた方が良いと主張して、初代郵政大臣を解任された「郵政民営化の先覚者」は、「稲むらの火」の主人公「濱口梧陵」である。

 駅遁司が属した民部省では、それまでの伊達宗城(旧宇和島藩主)に代って、大木喬任(佐賀藩士)、が卿に任じられた。
ところが、十数日にして民部省が廃され、駅逓司は大蔵省に移管されたのである。大蔵卿は大久保利通であった。
ところで七月十四日、人事大異動と符節をあわすように、天皇は在京の諸藩知事(旧藩主)を宮中に召し、藩を廃して県を置く詔書を下した。いわゆる廃藩置県は、こうしたかたちをもって断行されたのである。273の藩は、そのまま県とされ、従来の府県を加えれば、全国は三府三〇二県および開拓使(北海道)となった。中央集権は、ここに完成した。
東京から横浜までの郵便が開かれたのは、この翌日のことである。
この間に、三月一日世紀の新式郵便開始の大任を果たした駅逓権正の杉浦は、駅逓正に昇任し(三月十日)、七月、駅逓司が大蔵省に属するにともなって、いったん大蔵少丞に準ずる待遇が与えられたが、やがて太政官の正院に転じた。杉浦にかわって、駅逓正には浜口成則(儀兵衛)が任命された。こえて八月十日、駅逓正は寮に昇格した。長官の名称も、これによって頭となる。すなわち浜口は、ここに初代駅逓頭となったわけであった。
浜口は、紀州和歌山藩士の出身であった。それまて藩の権大参事(いまの副知事)として藩政の改革に当たっていたが、廃藩によって中央政府に召されたものである。浜口にとって、駅逓の行政はまったく未経験であり、新式郵便の近代国家における重要性も理解することもできなかった。そんなところへ、前島が帰朝したのである。(八月十五日)。
さっそく前島は駅逓寮を訪れて、浜口の所信をただした。しかし浜口の考えによれば、郵便のごときは、これまで飛脚屋が営んできた仕事であるから、将来は民間の経営にゆだねるのがよいという。前島は慨嘆し、駅逓のことをつかさどるべき者は自分をおいてほかにないと確信した。そして、太政官に自らの任官の希望を申しいで、帰朝から二日後の八月十七日には一駅逓頭に任じられた。

明治4年(1871)機構
7月29日 駅逓正 浜口成則、杉浦は大蔵省出仕。
8月10日 駅逓司は「寮」に昇格、浜口は駅逓頭に任命。
8月17日 駅逓頭 前嶋密、浜口は和歌山県に転出。

「郵政百年」(郵政省発行)より転載

尚、万国郵便連合加盟25年祈念祝賀に際し、明治35年6月22日の中外商業新報は、「郵便制創始者濱口梧陵翁」と題して報じている。
又、同じく6月23日東京朝日新聞は、「郵政創始者は誰か」と題して記事を掲載している。

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