稲むらの火
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ラフカディオ・ハーン著の「A living God」(生ける神)の初版本の崎山美佐子先生の日本語訳
生ける神                 ラフカディオ・ハーン 著                  崎山 美佐子 訳
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けがれのない神道(しんとう)の神殿や神社は、規模の大小にかかわらず、すべて同じ古典的な様式で建てられている。典型的な形は、窓のない彩色されていない木造の四角い建物で、屋根はとても険しく張り出していて、その正面は切妻壁(きりづまかべ)で、閉めたままの扉の上部は、木の格子(こうし)作りになっている。――たいてい、木がきちんとすき間なく組まれていて、それぞれが正確な角度で交叉(こうさ)している。ほとんどの場合、建物は支柱にのせられ、地面から少し上げられている。そして切妻壁の上部の、兜(かぶと)の面のような隙間(すきま)や、風変わりな角材の突起のある奇妙に尖(とが)った正面を見ると、ヨーロッパの旅行者なら、確かな古代ゴシック建築の屋根窓を思い起こすかもしれない。人工的な色は施(ほどこ)されていない。彩色されていない木材はやがて雨や太陽にさらされて、白樺(しらかば)の樹皮のような銀色から、玄武岩のようなくすんだ灰色へと変化しながら、自然な灰色になっていく。美しい形で良い色合いになった片田舎の社(やしろ)は、建造物というよりむしろ景色の一部、――岩や木と同じくらい密接に自然と一体化した田舎の風景――大土(おおつち)の神、地の神、地の太古の神の表れとしてのみ存在するようになったものに見えるだろう。
なぜ確かな建造物が、この世のものではない奇妙な霊気を感じさせるのかは、私がいつか理論化してみたい疑問点である。今はただ、神道(しんとう)の神社がそのような感情を呼び起こすとだけ言っておこう。それは弱まるどころか、自然に強まっていく。人々の信仰を知ることがそれを強めていくようだ。これらの奇妙なものを充分言い表せる言葉は、英語にはない。――他のどんな言葉でも、それらがかもし出す特異な雰囲気を伝えることはできない。私たちが適当に“temple”(神殿)や“shrine”(神社)という単語で表現するこれら神道の用語は、本質的には翻訳できないものである。――すなわち、神道における日本人の観念は、翻訳によって伝える事はできないということだ。いわゆる、神の“august house”(尊厳な家)は、その言葉の古典的な意味においては、もはやtemple(神殿)ではなく、haunted room(幽霊に取りつかれた部屋)、spirit-chamber(霊魂の部屋)、ghost-house(亡霊の館(やかた))のほうがあてはまる。つまり、その多くの小さな神々というのは、――何百年か何千年も前に生きて、愛して、死んでいった、偉大な武将や英雄や支配者や指導者たちの真の亡霊なのだから。私は、西洋人にとっては“ghost house”(亡霊の館)の方が


“shrine”(神社)や“temple”(神殿)よりも、神道(しんとう)のお宮や社(やしろ)――(その永遠の暗闇の中には、神の象徴となるものや、たぶん紙でできている神の権威を表すもの以外、なにも実体は存在しない)が持つ特異な漠然とした概念をよりよく伝える言葉のような気がする。さて、正面の背後にあるその空間は、他のどんな物質的な物よりも強く霊気を感じさせるのである。そして、何千年もの間に何百万もの人々が、この社の前で彼らの偉大な死を崇拝してきて、種族みんながまだ今もこれらの建物が目に見えない霊魂で満たされていると信じている事を考えれば、その信仰を不合理だと証明しようとすることがいかに難しいか、あなたたちにもわかるだろう。いや!不本意かもしれないが、――あなたたちが、その経験を後にどう思うのかはわからないが、――きっと自分自身が一瞬、可能性を願う態度に引き込まれていくのに気付くだろう。単なる冷静な理性だけではそれを避けることはできない。その感覚の証拠というものはない。すなわち、見えないし聞こえないしさわることもできないが、力として――とほうもなく大きい力として存在する現実が非常にたくさんあるのだ。したがってもう一度言うが、あなたたちは、この確信が空気のようにあなたの周囲をぞくぞくさせる間は、――大気があなたの肉体的存在を圧迫しているのと全く同じように、あなたの霊的存在を圧迫しているのを意識している間は、四千万の人々の確信を嘲笑(ちょうしょう)することはできない。私の場合、神道の神社に一人でいる時はいつも亡霊に取りつかれた感覚になる。そして取りついた霊の可能な統覚を考えずにはいられない。これが私に、もし私が神、――鎮守(ちんじゅ)の森の木陰で、石の獅子に守られながら、丘の上のとある古い出雲の神社に住んでいる――であれば、どのように感じるのかを空想させてくれる。
私の住いは、小妖精のように小さいかもしれないが、決して小さすぎる事はない。なぜなら、私には大きさも形もない。私はただ、振動であるべきだ。――天空にみなぎる精気や、人をひきつける目に見えない作用;しかし時には、私が超自然的現象が起こればよいと願うとき、自分の以前の目に見える自身によく似た幻影を形づくる事ができる。
鳥にとっての空気のように、魚にとっての水のように、すべての実体が私の本質に浸透していくだろう。日の光の長い金色の浴槽で泳ぐために、花の愛情に感動するために、トンボの背にのるために、思うままに住まいの壁を通り抜ける。 生を超越した力も、死を超越した力も、私のものになるだろう。――そして、自己拡張の力と自己増殖の力と、それに一瞬にしてあらゆる場所に存在するという力も。私は同時に、多くの家で自分自身が崇拝されているのを聞き、たくさんの供物のにおいを吸い込む。また、毎晩多くの神棚の中の私の場所から、私のためにともされた陶器や真ちゅうの燭台の灯(ひ)を見る。――最も純粋な油でともされ、最も清らかな炎でキラキラと輝く神の灯(ひ)を。
しかし、丘の上の社では、私には最も大切な役目がある。そこで丁度いい頃に、私の分身たちを集め、嘆願に答えるために、精神統一しなければならない。 精霊の家のうす暗闇から、私はわらじをはいた足音がやってくるのを探し、誓いを記した結び目だらけの紙を柵に編みこむしなやかな茶色い指を見て、信者たちの祈りの口の動きを観察する:

――「祓いたまえ、清めたまえ!私達は太鼓をたたき続け火を灯し続けているのに、まだ地は渇き米ができない。どうか雨を降らせてください。おお、大明神さま。」

――「祓いたまえ、清めたまえ!・・私は色黒です。真っ黒です。なぜなら、太陽が照りつける畑で一生懸命こつこつ働いたからです。どうか私を色白にしてください。都会の女の人のように白くしてください。おお、大明神さま。」

――「祓いたまえ、清めたまえ!・・29歳で軍人の私たちの息子ツカモトモトキチが、勝利を収めて早く帰ってきますように、すぐに、ただちに帰ってきますように、心よりお願いいたします。おお、大明神さま。」 

時々は、少女が彼女の本心をすべて打ち明けることもある。
「私は18歳の女性です。私は20歳の若者に愛されています。彼は好青年です。真面目です。でも私たちは貧しくて、私たちの愛の行方は真っ暗です。どうか私たちに神様のお慈悲をください。――そして私たちが結ばれますようお願いします。おお、大明神さま。」そして彼女は私の社の柵に、結った自分の髪をかけていく。カラスの羽のように黒くつやつやした髪で、濃い赤紫色の紙の太いひもで束ねられたものだ。そして、その供物の芳香――若い田舎の娘の純朴な香り――の中で、精霊であり神である私は、自分が若く恋愛をしていた頃の感情をまた思い出すだろう。
母親は子供たちを私の社の入り口へ連れてきて、彼らに私を拝むように教える。「神様の前では頭を下げて、大明神さまに敬意をはらうのですよ。」と言いながら。そして私は、小さな手でたたく初々しい、やさしい音を聞く。そんな時は、精霊であり神である私は、父親であったことを思い出す。
毎日、私は清められた冷たい水をかけられる音や、賽銭をなげこまれる音や、生米をまかれる音を聞く。そして私は、水の精によって清められ、米の精によって気を強めてもらう。
私を崇(あが)めるために、祭司が行われる。神主が黒い被り物をして布をまとって、私に供物(そなえもの)のくだものや魚、昆布、おもち、お酒を持ってくる。――顔を白い紙で覆い隠して。それは、私の食料に息がかからないようにするためだ。そして彼らの娘の巫女(みこ)さんは、真っ赤な袴と雪のような真っ白な上着とを着て、小さな鈴を鳴らしながら、また絹の扇子を揺らしながら舞う。そして、そのとき私は、彼女達のはつらつとした若さにうれしくなり、その優雅な美しさのとりこになるかもしれない。
それに何千年も前の音楽――太鼓と笛のこの世のものではないような音楽――声にはださない口を動かすだけの歌――そして、神の愛しい人である巫女が私の前で構えてポーズをとる。
・ ・・「宇宙の神の前に花のように立つ巫女たちよ。これらは誰の巫女なのか?彼らは尊い天帝 の巫女たちだ。」
「尊い音楽や巫女たちの舞い・・・天帝は喜んで聞き、見て喜ぶだろう。」
「偉大な神の前で巫女たちは舞う、巫女たちはみんな、今咲いたばかりの花のようだ。」・・・

私はさまざまな奉納物をいただく。私の神聖な名前を書いた色のついたちょうちんや、奉納者の名前や年月を書いた手ぬぐいや、病気を治してほしいという願いや、舟を救ってほしいという願いや、火災を静める願いや、男の子の誕生の願いなどをこめた絵など。
私の守護物である唐獅子も崇められる。私は、信者たちがその首やひづめに足の健康を祈って、わらぞうりを結びつけるのを見る。
私は、エメラルドの毛皮のようなすばらしい苔が、ゆっくりゆっくりと唐獅子の背にはびこっていくのを見るだろう。いぶし銀の斑点やいぶし金のつぎはぎができ、いくつもの世代が過ぎて、霜や雨で土台が削り取られ、徐々に台の縁が下がっていって、ついには唐獅子が傾いて倒れ、その苔のはえた頭が落ちるまで、私はずっと見守っていくだろう。その後、人々はまた別の新しい唐獅子を作ってくれることだろう。――御影石かブロンズで作られ、歯と眼は金色に塗られ、尾は炎の形をした唐獅子。
杉や松の間から、竹林の隙間から、私は季節ごとに変化する谷間の色彩を見るだろう。――冬の雪の降る様子や、桜の花の散る様子、都花として広がったリラの花、なたねの燃える様な黄色、水を張った平野に映る空の青色――働き者の氏子(うじこ)たちの帽子が点々と見える平野では、やがて育ちゆく稲のきれいなやわらかい緑。
ムク鳥やうぐいすは、墓場の影を飛び回り、鳴き声で満たしてくれるだろう。――そして、鈴虫やコオロギや、夏の蝉は、社全体を音の嵐でつつみ、ぞくぞくさせてくれるだろう。私はすぐに我を忘れて、にぎやかに鳴く喜びを感じ取り、また泣き声の響きを賛美するためにちっぽけな生き物の中に入り込むだろう。
しかし、私は決して神になることはできない。――なぜなら今は19世紀なので、神がのりうつっている自然に気づく人は誰もいないから・・肉体に宿る神は確かに存在するのだけれど。
本当に存在するのか?  たぶん。とても遠い所に、一人か二人。かつて生ける神は存在した。
古代、人並みはずれた偉業や善行を行った人など、賢明な人や勇敢な人は、いくら身分が低くても、彼の死後神として祭られた。また、非常な苦しみや差別に耐えた善人も神として祭られたかもしれない。ある特別な状況のもとで犠牲になって死んだ人々の霊魂、――例えば不幸な恋人たちの魂――に祈りを捧げるというような事も残っている。(たぶん、このような古い習慣は、心配や不安な気持ちをしずめるための祈りからはじまったものだろう。今日、大きな苦しみの経験は本人にどうあるべきか予言する才能を与えてくれると考えられているようだけれど。――その考えももっともである。)
しかし、さらにもっと驚くべき神化した姿があった。まだ生きている間に、ある人たちは、その精神がゆえに社が建てられ、神として崇められたのだ。正式な国の神としてではなく、氏神様として、たぶん村の鎮守の神様として。
例えば、浜口五兵衛という農民が紀州の有田という所に住んでいて、彼は生きている間に神様として崇められた。そして私は、彼はそれに値する人物だと考える。



U
浜口五兵衛の話をする前に、法律――もっと正確に言えば、明治時代以前に、多くの村の住民が縛られていた確固たる風習――について少し説明しなければならない。これらの風習は、年寄りの社会的経験に基づいて作られたものだ。
年寄りたちの考えは、出身の国や地域によって多少の違いはあったが、中心となる考え方は、どこでもだいたい同じであった。
道徳的な事柄や産業的な事や、宗教的な事、そういったあらゆる事柄、まったく個人的な行いまでも彼らによって決められていた。彼らは、平和を保障する代わりに相互の助け合いを強要した。ときどきは、村同士の深刻な争いはあったかもしれない。――それは、水の供給や土地の境界線の問題など、農民の間の争いであった。しかし、おなじ共同体の人同士の争いは許されることはなかった。村のみんなは内部の平穏を乱す事を嫌った。このような状態は、今でも存在する地方がある。人々は戦いを口にせず、争いなく生活するすべを知っている。一般的に日本人が戦うのは、誰の助けも借りずに自分一人の命をかけて敵(かたき)討ちに行くときだけである。
  異性との個人的な振舞いにおいては、定められた規則以外に、いくつかの驚くべき義務が定められている。農村の未婚の女性は、町の女性に許されているよりはるかに自由を楽しめた。両親は厳しく禁じたけれど、恋人がいても何のとがめもなかった。なぜならそれは共同体に忠実と見なされたから。――忠実、少なくともその結婚の意向については。しかし、一度決心すると、その女性はその事によって束縛される。もし彼女が密かに別の男性と会っているのが発見されると、人々は、彼女を腰の周りにシュロの葉だけをまとわせて、村中の通りや小道を引きずりまわす。娘の愚行のために、両親は世間に顔向けができず、家中の戸を全部閉めて、家の中に閉じこもっていなければならなかった。その後、女性は5年の刑に処せられた。しかし、その期間が終わると、彼女は罪を償ったと考えられ、それ以上のとがめはまったくなしで、家に戻ることができた。
災害や緊急時の相互扶助の規則は、どの共同社会の規則の中でも最も権威あるものだった。火事の場合は特に、誰もが自分にできる全力を出して協力しなければならなかった。子供でさえ、この義務から免除されなかった。もちろん、大きな町においては違って命ぜられることもあったが、小さな村ではどこでも、その義務はとても簡潔・明瞭だった。そして、それを無視することは、許し難いと考えられていた。
興味深いのは、相互扶助のこの規則が宗教的な事にまで発展していったという事だ。というのは、誰もが、いつでも頼まれれば、誰かの病気や不幸のために神に祈る事を当然の事と思っていた。例えば、村中が誰か一人の病気のために千度参りをするようなことがあるという事だ。そのような場合には、組長(組長とは、5軒以上の家族をまとめる責任がある。)が、「どこそこの誰々が死にそうだ。みんな急いで千度参りに協力してやってくれ。」と叫びながら、家々を走り回った。そうすると、どんなに忙しくても、そこの住人は全員神社へ急いで行く事は当然とされていた。――しかも、途中でつまずいたり、よろけたりしないように気をつけながら。なぜなら、千度参りの途中で、一度でもつまずいて転ぶと、病人に不幸がやってくると信じられていたから・・・


注)千度参りをするというのは、神社に千回参り、神に千回祈願する事を意味する。しかしそれは、神社の敷地の門や鳥居から、拝殿まで行って、またもどる。これを千回行い、その度に神に祈願すればよいとされている。そして、その作業は人々の数により分担されても良い。例えば、百人の人々が十回ずつ参れば一人が千回参るのと同じ御利益があるとされた。






V
 さて浜口氏に関する話にもどろう。
遠い昔から、日本の海岸は、何世紀もの不定期な間隔で巨大な高潮――地震や海底火山の活動によって引き起こされる高潮に大きな被害を受けてきた。これらの恐ろしい海面の上昇を日本人は“津波”と呼んでいる。最近では、1896年6月17日の夜に起った。200マイル近くまで伸びた波が宮城・岩手・青森などの東北地方を襲い、町や村の境目を壊し、辺り一面を破壊し、30,000人近くの命を奪った。浜口五兵衛の話は、明治以前に日本の別の海岸で起った、同じ様な災害の話である。
 彼を有名にした出来事のあった時、彼は老人であった。彼は、自分の村の中では最も影響力のある住民であった。彼は長い間“村長(むらおさ)”いわゆる首長をしてきたので、村人から尊敬されるに勝るとも劣らず好かれていた。村人たちはいつも彼を“おじいさん”と呼んだ。それは祖父という意味である。しかし、彼はその共同体の中では一番裕福であったので、時には公式的に長者と呼ばれる事もあった。彼はよく小百姓たちに彼等のためになる事を助言したり、彼等の口論の仲裁をしたり、必要なときにお金を立て替えてあげたり、また、彼等の米を最も高い値段で売りさばいてあげたりした。
 浜口家の大きな藁(わら)葺(ぶ)き屋根の家は、海を見下ろす小高い台地の端に立っていた。ほとんどが稲作に使われているその台地は、三方をこんもりと木の生い茂った山に囲まれていた。その外側の縁(へり)から土地はすくい取られたように巨大な緑のくぼみをなして低く傾斜している。そして4分の3マイルほどの長さのその傾斜全体は段々になっていて、広い海から見ると、せまく白いジグザグ模様――すなわち山道でできた縞で真中が分けられた巨大な緑の階段の上を飛んでいるように見えた。90戸の藁葺き屋根の住居と一つの神社が村を形作り、弓状の湾に沿って存在していた。そして長者の家へ続く小道の両側の少し離れた傾斜地に他の家々が散在していた。


 ある秋の夕方、浜口五兵衛は自分の家の庭から下の村でのお祭りの準備の様子を見下ろしていた。稲が豊作だったので、農民たちは氏神様の境内で踊って収穫を祝おうとしていたのである。老人は一本道の屋根々々にはためいている祭りの幟(のぼり)や、竹の棒の間に吊るされたいくつもの提灯(ちょうちん)の列や、神社の飾りや、華やかな色の装いをした若者たちの集まりを見る事ができた。その夕方は、10歳の幼い孫以外誰も彼のそばにはいなかった。ほかの者たちは早くから村へ行ってしまっていた。彼もいつもより具合が悪くなかったら皆と一緒に行っていただろう。
 その日はむし暑かった。微風がふくのを除けば、日本の農民の経験からして、地震が起こる前に必ずある、あの重苦しい暑さがまだ空気の中に残っていた。そしてやはり地震が起った。それはみんなが怖がるほど強いものではなかった。しかし今まで何百回もの地震を感じてきた彼は、その揺れを奇妙に思った。――それは長くゆっくりふわふわした揺れだったからだ。たぶんそれは遥か遠くで起きた巨大地震の余震にすぎなかった。家はミシミシと音をたて何回か緩やかに揺れ、再び揺れは治まった。
 揺れが治まった時、浜口の鋭い老人の眼は心配して村の方を振り向いた。特定の場所や物を見つめている人の注意が、突然見ていない何かを感じる事によって――すなわちハッキリした意識を超えた所にあるぼんやりとした無意識の層に、見慣れぬ物を感じる事によって突然気を逸(そ)らされる事がよくある。そのようにして浜口は沖の方に異常な物があるのに気づいた。彼は立ち上がって海を見た。すると突然海は暗くなり、海水が奇妙な動きをしていた。それは風に向かって動いているように見えた。つまり陸から遠ざかっていくのであった。
すぐに村中の皆がその現象に気づいた。どうやら誰も先の地震を感じなかったらしい。しかし皆は海水の動きにはびっくり仰天した。彼等は海辺に行き、さらにその先まで走っていった。今生きている人々の記憶のなかでは見たことのないような引き潮が起こっていた。そしてそれは超自然的現象を起こしていた。すなわち瞬(またた)く間に、畝(うね)のある見慣れない海底や、海草の巻きついた岩がむき出しになった。村人の中には、この不気味な引き潮が何を意味しているのかを考えている者は一人もいなかった。
 浜口五兵衛自身もこのような物を今まで見た事がなかった。しかし彼は子供の頃に祖父から聞かされた事をよく覚えていて、海の言い伝えをすべて知っていた。彼には海がこれからどうなるのか推察できた。たぶん彼は、村人たちに知らせる時間と丘の上にある寺の住職に鐘を鳴らしてもらうのにかかる時間とを考えただろう。???しかし彼が考えた事を知らせるには予想以上に時間がかかりそうだった。彼はただ孫にこう言った。
「忠(ただ)!――速く!――大急ぎで松明(たいまつ)に火をつけなさい。」
 松明(たいまつ)――松の木の灯りは、嵐の夜や神社の祭りに使うために多くの海辺の家々に置かれていた。子供はすぐに松明に火をつけ、老人はすぐにそれを持って外に飛び出して行った。そこには彼の財産のほとんどに相当する何百もの稲の束が取り込みを待っていた。彼は傾斜地の最も近い端に近寄り、松明でそれらに火をつけた。――年老いた足で精一杯急いで次から次へと。日に干された藁(わら)はよく火がついた。だんだん強くなってきた海風は炎を陸の方へ吹きつけた。そしてすぐに列から列へと稲むらは炎に包まれ、空に煙の柱を噴き上げ、それらが混ざり合って一つの大きな雲の渦巻となった。忠はびっくりして恐ろしくなり、こう叫びながらおじいさんを追いかけた。――
 「おじいさん!どうしたの?おじいさん!どうしたの?――ねえ、どうしたの?」
 しかし浜口は答えなかった。彼には説明している時間などなかったのだ。それに、かれは危険にさらされている400人の命の事しか考えていなかった。しばらくの間子供は燃える稲むらを、目を見開いて凝視し、そしてワアーッと泣き出した。おじいさんがおかしくなってしまったと思い、家へ走って帰った。浜口は田んぼの端へたどりつくまで、次から次へと稲むらに火を放ち続けた。そうして彼は松明を投げ捨てて待った。山寺の小僧が炎に気付き大きな鐘の音を響かせた。それで村人たちは両方の知らせに反応した。浜口は、村人たちが海から急いで海岸へ戻り、蟻の行列のように村から走り上ってくるのを眺めた。しかし彼の心配している目には蟻より速いとは思えず、その一時(いっとき)が彼には恐ろしく長く思えた。陽は沈もうとしていた。湾のしわのよった海底や広大な斑入りの川柳(かわやなぎ)のような海原が、夕陽のオレンジ色に照らされてむきだしに横たわっていた。そしてまだ海水は水平線の方へ引いていた。
 ところが実際は、最初の救助隊が着くまでにそう長くはかからなかった。――意気盛んな若い百姓たちはすぐに火を消そうとした。しかし長者は両腕を広げて彼等を止めた。  「そのままにしておけ!」と、彼は命令した。――「そのままにしておけ!私は村中の皆にここに来てほしいのだ。恐ろしい事が起こる、――大変だ!」
 村中の人々が集まってきて、浜口は人数を数えた。若い男たちと男の子たちは全員そろった。そしてかなり元気な女性と女の子たちも来た。その後に老人たちや赤ん坊を背負った母親と小さな子供たちさえも集まった。――子供たちでも水を渡す手伝いをすることが出来るからだ。そして、身体が弱くて最初の突進組についてこられなかった老人たちが、急な坂道を登ってくるのがよく見えた。どんどん集まってきた村人たちは何がなんだか分からず、悲しく驚いた様子で、炎を上げている田んぼと長者の落ち着きはらった顔とを代わる代わる眺めた。やがて陽は沈んだ。
 「おじいさんがおかしくなった。こわいよ!」と、皆からの質問に答えて、忠は泣きじゃくった。
 「おじいさんがおかしくなった。おじいさんはわざと稲に火をつけた。僕はおじいさんが火をつけるのを見た。」
 「稲の事については」と、浜口は話し出した。
 「子供の言うとおりだ。私が稲に火をつけた。???もう村人はみんな集まったか?」
 組長と家々の家長等が周りを見回し、丘の下を確認して、「みんな揃っています。もうすぐ来る者もいるが???いったいどういう事ですか」と、返事をした。
 「来た!」と、老人は海原を指差しながらうわずった声で言った。「これでもおかしくなったと言うのか!」
 皆の見た東の薄明かりの中に、今まで海岸のなかった所に、海岸の影のような長く、細く、黒い水平線が見えた。――その線というのは、見つめているうちに太くなり、引き寄せられるように広がってきた。その長い暗闇は押寄せてくる海水で、絶壁のようにそそり立ち、凧が飛ぶより速く襲ってきた。
「津波だ!」人々は悲鳴をあげた、とその時、すべての悲鳴も様々な音も、どんな雷よりも激しいたとえようのない振動によってかき消された。それは、巨大な波が、幕電の炎のような泡の炸裂とともに、山々を揺らすほどの力で海岸を襲ってきたようであった。
そしてその瞬間、雲のように傾斜地を突進してくる、荒れ狂った波以外何も見えなかった。人々はその脅威におののき、慌てふためいて後ずさりした。 彼らが次に目にしたのは、彼らの家々を巻き込んで荒れ狂う白い波の恐ろしい光景だった。 それはゴーゴーと音をたてながら、村の中心部を引き裂きながら引いていった。二度三度五度と、波は寄せたり引いたりし、だんだんうねりはおさまって、まだ台風の後のように荒れながらも、昔ながらの海の形にもどった。
 高台では、しばらく無言の状態が続いた。人々は、ひっくり返された岩やむき出しの裂かれた断崖に身を震わせ、民家や寺のあった所一面に打ち上げられた海草や小石に驚き、その荒れ狂った光景に言葉もなく釘づけになった。 村はなくなり、田畑のほとんどもなくなり、段地でさえその存在をなくしてしまった。沖合いで狂ったように押し上げられている2つの藁葺き屋根以外、家々は跡形もなくなってしまった。
 逃れられた死の恐怖の余韻に加え、なにもかも失くして呆然(ぼうぜん)となり、浜口の声が聞えるまで誰も口も利けなかった。 浜口はやさしく見回して、―― 「あれが、私が稲に火を点けた理由だ。」と言った。
 村の長者である彼は、今は、一番貧しい人と同じくらい貧しくなっていた。 なぜなら、彼の財産は無くなってしまったのだから。――しかし彼は、その犠牲によって400人もの命を救った。
 幼い忠は、彼の元に走り寄り、手を握って、心ない事を言ってごめんなさいとあやまった。 それでやっと村人達は我にかえり、自分たちが何故助かったのか、その事情を理解する事が出来た。そして、彼らを救ってくれた自分を犠牲にした先見の明に驚き、組長たちは暗闇の中で、浜口五兵衛の前にひれ伏した。他の村人もそれにならった。
 すると浜口はホッとひと安心したのと、年をとり弱くなった身でひどい目に遇ったのとで、少し涙を流した。
「私の家が残っている」と、忠の陽に焼けた頬を機械的にさすりながら、言葉が見つかるとすぐに言った。
「私の家には大勢入れる部屋があるし、丘の上の寺も残っているから、そこでもみんな避難できる。」
そして、彼は自分の家へ先にたって案内した。 すると村人達は大声で泣き叫んで感謝した。

 避難生活は長かった。なぜならば、当時は地方と地方を結ぶ迅速な交通手段がなく、必要な救援物資は遠くから運ばなければならなかったからである。 しかし、生活が少し楽になってきた時でも、人々は浜口五兵衛への恩は忘れなかった。彼らは彼を裕福にすることはできなかったし、もしできたとしても、彼は村人にそんな事を心配させるようなことはしなかった。 その上、彼への尊敬の気持ちに値する贈り物など何もなかった。 それで彼らは、彼の心の中にある魂は神様のようだと信じるようになった。
そして彼に捧げる物としてこれ以上の物はないと考えて、彼の事を神様だと宣言し、それからは彼の事を浜口大明神と呼ぶようになった。――そして実際どの国においても生存中にこれ以上の名誉が与えられた人間はいなかった。 やがて彼らは、村を立て直した時、彼の霊魂を祀(まつ)った社(やしろ)を建てて、金文字で彼の名前を示した額を正面に掲げた。 そして彼らはそこでお祈りやお供えをして彼を崇拝した。 彼がそれをどのように思っていたかについては、私にはわからない。――ただ私が知っているのは、彼の魂がその社で祀られている間も、彼は高台の古い藁葺(わらぶき)屋根の家で、子供や孫たちと一緒に、以前と変わりなく人間らしい質素な暮らしを続けていたという事だ。 彼が亡くなって百年以上になるが、噂によると彼の社はまだ残っていて、人々は不安や困難なことがあると、そこで救いを求めてお祈りをするそうだ。
 私は哲学者である日本の友人に、その村人達はなぜ、生きている浜口の肉体が存在するのに、彼の霊魂が別の場所に存在すると本気で想像する事ができるのか説明して欲しいと頼んだ。 そしてまた私は、彼らが崇拝した魂は、彼の生存中の魂のうちの一つにすぎず、その特別な魂を崇拝するために他から切り離して考えたのかどうか尋ねた。
“村人達はね”、と私の友人はこう答えた。
“人の心や霊魂は、生存中でさえ、同時にさまざまな場所に存在する事ができるものだと考えているのだ。・・・このような考えは、もちろん西洋の魂についての概念とはまったく違うものだ。”
“もっと解るように”、と私はいたずらっぽく尋ねた。
“うーん”、と彼は仏像のような笑みを浮かべてこう答えた。
“もし、精神統一の教義を信じることができれば、村人の考えには少なくとも真実のほのかな輪郭が含まれていることが理解できるのだが。 あなたたち西洋人の魂の概念では、それだけの事を言うことはできないだろう。”




訳者 崎山美佐子先生(広川町語り部サークル)、「広報ひろかわ」の承諾の元に掲載しております。
転載される場合は、0737−63−2295の崎山美佐子先生に御連絡下さい。

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